2012年05月11日

ぱみゅぱみゅ


最近やたら「きゃりー・ぱみゅぱみゅ」関係の仕事が多いんですけどね。

同じ中田ヤスタカさん案件のパフュームは失敗でしたね。

せっかく「ポリリズム」でイイ感じだったのに、メディアに出すぎて身体性を暴露しすぎた。

他のアイドルとの差別化を図るなら、ディジタル時代を象徴するアイコンのイメージを徹底して守るべきでした。

アクターズスクール時代の下積みの話とかホント要らないし・・・

その反省からか、ぱみゅぱみゅの方はメディアへの露出を控えめにしているようで、これは正解だと思います。


この娘の当面のライバルは初音ミクでしょうね。

でもこれは強敵ですよ。

なんせ本物のアイコンですから。
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2012年05月10日

人気作家の憂鬱


ひととき時代の寵児などともて囃されながら、ある時から忽然と姿を消してしまう漫画家や作家がおります。

タレントや作曲家やコラムニスト、あるいはテレビのコメンテーターなどもそうですが、人気稼業と呼ばれる職業に就いている人々がメディアから消えていく過程には、本人の表現者としての資質の限界であったり、マスコミや大衆の「飽き」であったりといったことが大きく作用していることは明らかです。

先日仕事の打ち合わせの時の雑談で、ある雑誌編集者から聞いた某漫画家の「転落劇」は非常に興味深いものでした。

この漫画家A氏は、80年代にロリコン・マンガで一世を風靡し、原作がアニメ化されるほどの人気を誇っておりましたが、徐々に読者から飽きられるようになり、ついには雑誌の連載が一本もなくなってしまいます。

しばらくは読みきりの仕事などをこなして凌いでいましたが、やがてそういう単発の仕事さえもらえなくなる。
つまり漫画家としての需要が全くなくなってしまったわけですが、その最大の原因は、前述したように作風や表現スタイルが読者に飽きられたことにあります。

これがお笑い芸人などであれば、地上波のゴールデン枠に出られていたのが深夜枠になり、BSやCS、地方ローカルへと徐々に活躍の場が限られていき、それに伴ってギャラも漸減していくということになりますが、漫画家や作家の稿料というものは(翻訳家もそうですが)多くの場合そういうシステムにはなっていません。

駆け出しの頃は当然稿料は安いわけですが、人気が出るにしたがってアップしていく。
やがて人気が衰え、連載打ち切りという段階になってもギャランティーは下がらず、むしろ連載終了時に稿料を意図的に高くして、その作家のステータス(=ギャラ)を上げる操作をします。

これは次に連載を開始する際、高い稿料から始められるようにするためですが、件のA氏の場合、このシステムが逆効果というかアダになった。
高騰したギャラがネックになって、彼には全く仕事が回ってこなくなってしまったわけです。

家族を抱えたA氏の生活は窮乏し、自らロリコンアニメの同人誌に原稿を売り込むほどだったといいます。

そしてついに家族を棄て失踪。路上生活者となります。


先日このブログで、今後ボクは翻訳だけでなくどんな短いコラムでも書くし、安いイラストの仕事も断らないでやっていくと書きましたが、実はこれは将来に対して保険をかける意味合いが強い。

つまりリスクを分散するということです。

ある仕事に対して一意専心・一所懸命というのは一見カッコよく見えますが、これからは「一所」では危ない。
ひとつの道が断たれた時、別の迂回路を確保しておかなければそこでおしまいです。

先日さくらももこさんの「ちびまる子ちゃん」の新聞連載が打ち切りになったそうですが、個人事務所を構え、社員を抱えているさくらさんにとって、従来の漫画やコラム以外で新機軸を打ち出せるか、これからが本当の正念場ではないかと思います。


何にせよ、生きていくということはサバイバル以外の何ものでもないと痛感している今日この頃であります。
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2012年05月08日

アイドル


大学時代の友人たちと2年ほど前まで月1でフリー・ペーパーを発行して、中野のサブ・カル専門店などに置かせてもらっていたのですが、それを読んだ某雑誌編集者の方が、ちょいちょい短い記事とかイラストを書く仕事をまわしてくれて、まぁ小遣い稼ぎをさせてもらっているわけなんですが、最近は時事ネタでも政治とか経済とか国際情勢とか、そういうお堅い話題は読者にウケないということで、芸能ネタで書いてくれと言われることが多いのです。

特に昨今は「アイドル戦国時代」とかいうことだそうで、ももクロだのAKBだのについて書かされることが多い。

でも正直ボクはこのあたりの事情には全く通じていないわけで、編集さんには「アイドルの追っかけとかやってる連中に書かせたらどうですか?」などと言うのですが、「確かにヲタは事情には通じているけれども何よりまとまった文章が書けない。それに〇〇ちゃん推しとかその辺の個人的趣味が文面に出てしまうで、客観性に欠けた記事になってしまう云々・・・」。
といって杉作J太郎さんなんかに原稿依頼をすると高くつくので、結果的にこちらに仕事が回ってくるわけです。

そもそも興味のないものに関して、短文であっても文章をものすというのは結構骨の折れる作業でありまして、仕方がないのでボクの知る範囲で「アイドルの国際比較」などというトピックをでっち上げたりして急場をしのいでおります。

「アイドル」という和製英語、というか殆どネオロジスムに近いこの用語を最初に使いだしたのは、恐らく作詞家の阿久悠さんあたりじゃないかと推測するのですが、厳密に言って現在の日本のアイドル産業に相当するものは西欧諸国にはありません。

ただアイドルに近い扱いを世間から受けている歌手なり俳優なりというのはアメリカやフランスにもおります。

例えば昔のジャクソン・ファイブとか、フランスで言えばフランス・ギャルなんかがそうだと思いますし、シャルル・ゲンズブールとジェーン・バーキン夫妻の娘のシャルロット・ゲンズブールがデビューした頃などは、日本で言えば広末涼子的な、女優もやりつつ歌手もやるという明らかにアイドル的なプロモーションがされていました。
アヴリル・ラヴィーンなんかもそれに近いですね。(彼女はフランス系カナダ人ですが)

日本と西欧のアイドル事情で決定的に違うのは、やはりヲタの存在だと思います。

日本ではアイドル・ヲタは広く社会一般に認知された存在ですが、西欧では(とりあえずアメリカとフランスの事情しかボクは知りませんが)タテマエ上アイドル・ヲタなる人種は存在しないことになっています。

近年になって日本や韓国のアイドルがヨーロッパに紹介され、一部の若者たちの支持を得ているようですが、彼ら・彼女らはgeekとかnerd、あるいはhentaiなどと呼ばれて白眼視されているのが実態です。

そもそも西欧諸国には「アイドル」に相当する言葉がありません。
英語のidolは「偶像」しか意味しませんし、フランス語にはvedetteという語がありますが、日本で言うアイドルとは本質的に違うものです。

まぁイイか悪いかは別にして、アイドル産業が隆盛を極める、ヲタがCDをひとりで100枚も買うなどという現象は日本固有のものと言えるでしょう。
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2012年05月07日

なんだかなぁ


ど~も。

平日、休日問わず家にいるので、近所から「アイツ、ニートじゃね?」などと思われているぴぃでございます(^。^)y-.。o○

さて、ニュース等で既にご存知かと思いますが、フランスの大統領選挙で現職のコジコジ、いや、サルコジが負けました。

これで政権は野党の社会党に移るわけですが、左派の大統領と言うと、ミッテラン以来でありますな。

経済の停滞、失業率の高止まりで国民の不満がついに爆発したということでありましょう。

同時にギリシアでも総選挙が行われ、こちらもビミョ~なことになっております。

ECBやIMFの緊急支援、膨大な額の借金の棒引き等でなんとか国家としてギリギリ命脈は保っておりますが、既に失業率は20%を軽く超えております。

ドイツ主導でEU各国から緊縮財政を強要され、財政出動による景気刺激策も打てず、なまじユーロなんぞを導入しているおかげで通貨安の恩恵すら受けられないというまさに生殺しの状態。

国家によるデフォルト宣言、そしてユーロ離脱も現実味を帯びてまいりました。

まぁこんな感じで内実はグダグダなEUなわけですが、2009年に「衝撃! EUパワー」なんぞという本でEUをべた褒めしていた自称経済評論家の大前研一さんなんかはこの状況をどう見ておられるのでしょうね?

あと、EUに倣って「東アジア共同体」を作れだのなんだのと言っている連中は・・・?

いやぁ~世界経済も一寸先は闇ですな。

とりあえず今日仕事があってご飯がおいしくいただけることに感謝いたしましょう。
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2012年04月30日

仕事


渡邉正裕さんの「10年後に食える仕事・食えない仕事」によると、10年後、現在日本にある職業の実に72%が価値を失い、多くの業種で「食いっぱぐれる」人々が出てくるのだそうです。

要するに社会がグローバル化していく過程で、「日本人でなければできない仕事」と「日本人でなくてもできる仕事」に明確な線引きがなされ、後者に属する職種に従事している人々は、新興国の低賃金労働者に徐々に仕事を奪われていくということのようです。

実際、円高の影響などもあって、多くの企業が人件費の安い国へ生産拠点を移していますし、老人介護などサービス業の世界でも、外国人労働者が多く働くようになってきています。

単純労働を担うブルーカラーのみならず、パイロットや医師・看護師、コンピュータ技師などの専門職であっても、必ずしも「日本人でなければならない」わけではないですから、今後仕事を巡って壮絶な「食い合い」が始まるでしょう。

この本の中で、渡辺氏は「日本人メリットを享受できる職業従事者は生き残る」としています。

「日本人メリットを享受できる職業」というのは言い換えれば、「日本語ネイティブ」であることを武器にできる職業ということで、例えばお笑い芸人などはその最たる例でしょう。

ボクがやっている翻訳という仕事も、フランス語を日本語に訳す、または英語を日本語に訳すという作業に関しては「日本人メリット」を発揮することが出来ます。

まぁだからこそ今までそこそこ仕事がもらえていたわけでありますが、しかしながら将来に関して危機感がないわけではない。

グローバル化が進めば、当然英語の読み書きは生きていくうえで必須要件になるでしょうから、そうなれば英文和訳の必要性は薄れてしまいます。

そんなこともあるので、ボクは今フリーランスの立場をフルに活用して、もらえる仕事は何でもやるというスタンスに変えつつあります。

翻訳にこだわらず、アイドル雑誌の提灯記事も書けば、ワン・カット数百円のイラストだって描く。
節操がないと言われれば確かにそうですが、そうやって小銭を稼いでやっていけば何とか食いっぱぐれることはないのではないかと思っています。

おかげさまでG.Wも仕事漬けの毎日・・・


連休を優雅に過ごしていらっしゃる皆様、10年後、あなたは今の仕事で食べていける自信がありますか?
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2012年04月20日

Morning Musume in Paris


去年だか一昨年だかに、モー娘。がフランスでコンサートをやったんだそうですが、その模様をフランスの某TV局がルポしていて、なんか絶賛してました。

モー娘。のパフォーマンスに関して云々というより、彼の国のメディア関係者を驚かせたのは、日本から同行したカメラ・クルーの技術の高さだったそうです。

会場のモニターに映し出される映像のクオリティーの高さは「涙が出るくらい」に素晴らしかったとか。

ボクらはDVDとかYouTubeでアーティストのライブ映像を観る際、カメラ・ワークだの画質の良さだのといったことには、普通あまり関心を持ちませんが、世界的に見て日本の映像技術というのは傑出しているらしい。

以前作家のC.W.ニコルが、日本のテレビ局のカメラマンのテクニックは素晴らしいと言っていましたが、普段当たり前のように思って観ている映像が、実はもの凄い技術によって支えられているのだということを、ちょっと心にとめておく必要があるかもしれません。

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2012年04月15日

Buono!


お久しぶりです。

最近、YouTubeでアイドルのPVを観るのがちょっとしたマイ・ブームになっているぴぃでございます。

特にお気に入りなのが「Buono!」という3人組のユニット。

歌もダンスもとても上手い。

アイドルグループとしては珍しく、バック・バンドを従えてロック調のノリのいい曲を歌っています。

Buono!は、モーニング娘。などが所属するハロー・プロジェクトの一員ですが、ハロプロでは唯一つんく♂がプロデュースしていないユニットらしいです。

PVを観ると、センターにいる童顔の女の子(といってももう大学生らしいですが)、嗣永桃子さんについ目が行ってしまいます。

彼女は身長が150もない小柄な子ですが、3人の中では一番ダンスの身のこなしなどが上手で見栄えがします。

先日某バラエティー番組にピンで出ていましたが、滑舌が良く、トークでも機転の利くコメントを絶妙なタイミングで繰り出して、番組を盛り上げておりました。

CXの「めちゃイケ」出演時には、加藤浩次に飛び蹴りを食らってふっとんだり、全身粉まみれになりながら奮闘。プロ根性の座ったアイドルとしての姿を見せつけ、ファンからは「嗣永プロ」という尊称を奉られております。

キャラ的には元モーニング娘。の矢口真理に近いものがありますが、もしかしたら矢口以上の逸材かもしれません。

矢口真理もそうですが、小柄な女の子というのは競争の激しいアイドルの世界で揉まれていくうちに、どうすれば自分を大きく見せ、存在感をアピールできるかという技術を自然と身につけるのかもしれません。

それはある種動物的な生存本能に基づくものかもしれない。

小人症などの障害を抱えたコビト(侏儒)が、自分のハンディキャップを逆手にとって、シェークスピアの「リヤ王」に登場するfoolのように、道化として自分の居場所を見出すといった例は、昔からしばしば見られたことです。

嗣永さんは小人症ではないですが、他人よりも背が低いというハンデを、自ら「道化」役を演じることで、それをひとつの芸風にしようとしているようにも見えます。


まぁなんにしろBuono!はイイです。

新曲「初恋サイダー」のPVがYouTubeで観られますので、是非一度ご覧下さい。
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2012年04月07日

サクラサク


桜の季節ですねぇ~

年度末のドタバタもようやく落ち着いて、公私ともに安閑とした日々を過ごしております。


散歩に出たら、トカゲが日向ぼっこをしておりました。

どこぞの家の軒下あたりで借りぐらしをしているのでしょうか。

のどかな春の風景でありますな。


忙しさから解放されたので、当分はのんびりいたします。

模型製作もお休み。
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2012年03月30日

卒業の季節


某国民的アイドルグループ(自称)のメンバーが脱退を表明。

なんでも、号泣しすぎて過呼吸を起こしたらしい。

その時の画像が絵的にもの凄いので貼っておきました。


いや、単純に面白いから。

ただそれだけ・・・
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2012年03月26日

花音


只今人気急上昇中の子役、谷花音ちゃん。

「花音」と書いて「かのん」と読むそうであります。

「かのん」とはまた何という麗しい名前でしょう。

これはもう不細工に生まれてくることが許されないような名前です。

本名か、芸名かは知りませんが、いずれにせよ彼女は見た目が可愛らしいのでこういうso gorgeous!!な名前でも許されるのであります。

そう言えば、塾で講師をしていた頃、教え子に「花音」という名前の女生徒がおりました。

が、残念ながらこの女生徒の容姿は「かのん」と名乗るにはいささか無理がございました。

「あなたの場合、むしろ「呪怨」と書いて「じゅのん」という名前に変えるのが適当でしょう・・・」などと心の中では思っておりましたが、後々面倒なことになりかねないので口には出さずにおりました。

彼女の名前を「花音」と付けたのは母親だそうで、父親はじめ親族一同の制止を振り切って、強引にこのポエティックな少女漫画趣味的な名前にしたのだとか。

彼女自身もこの名前はまんざらでもないようで、「花音のポエム」と題したダイアリーをいつも持ち歩いておりました。

「カノン」という音からは、やはり自然と「パッヘルベルのカノン」を連想いたします。

バロック時代の名曲の中でも、とりわけ清浄な美しい旋律を持つこの曲。

そのイメージにあやかりたいと願って、親たちはわが娘に「花音」などと名付けるのでありましょうが、フランス人は「カノン」と聞けば、ほぼ100%「大砲(canon)」を想起するでしょう。

また「彼ってイケメン!」などと言う時、Il est canon!と言ったりしますから、「花音」のような美々しいイメージは喚起しない。
むしろ性的な印象を与える場合もあるでしょう。

まぁ他人様の名前にケチをつける気はありませんが、自分の子供に名前を付ける時は、できるだけベタな、無難なネーミングにした方がよいのではないかなどと、ちょっと思います。
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2012年03月22日

荒野より


キムタクが主演して話題になった(割には視聴率が取れなかった)ドラマ「南極大陸」の主題歌を中島みゆきが歌っておりました。

タイトルは「荒野より」。

かつて三島由紀夫も同名の短篇を書いております。

三島邸に、ある朝狂者の青年が押し入った事件を題材に、作家と読者の関係について綴ったエッセーです。

青年は三島邸の書斎の窓ガラスを破り侵入しますが、何も盗らず、誰にも危害を加えずに、青ざめた顔で震えながら百科事典の頁をめくっているところを、駆けつけた警察官にあっけなく逮捕されます。

三島はこの狂人と対峙した時、手には木刀を持っていましたが、全く闘争心を掻き立てられなかったと書いています。

それどころか、「その梅雨時の薄い闇に、慄えながら立っている一人の青年の、極度に青ざめた顔を見た時に、私は自分の影がそこに立っているような気がした」といいます。

この夜明けの闖入者、作家・三島由紀夫の影法師は、三島に向かって「本当のことを話してください」と繰り返していたそうです。

もとより狂人の繰り言ですから、そこにはおそらく何の深い意味もなかったでしょう。

しかしながら三島は、この狂者の青年の蒼ざめた顔に、作家が決して見ることのない「読者」の顔を見ます。

作家の孤独が作品を通して、見知らぬ読者の孤独へ染み入っていく。
やがてその孤独は読者の精神の中で猖獗し、狂気として発露したのだと三島は解釈します。

「こんな狂気が、たとえ先天的素質はあったにしても、明らかに孤独に育まれたものであることは、最初の一瞥で私にはわかった。」

ここで注目すべきなのは、三島は決してこの狂人に同情や憐れみを感じているのではないという点です。

犯罪者は犯罪者として司直の手に委ね、心神喪失者として刑を免れるならば、精神病院がその治療と社会予防とに万全を期すべきであると言い切っています。

このあたりがいかにも三島由紀夫らしいところです。

ボクはここに三島の知性の逞しさを見ます。

社会派などと呼ばれる小説家、例えば重松清のごとき三流作家であれば、恐らくこの狂者の青年の生い立ちから現在の生活環境に至るまでを仔細に調べ、何が彼をして犯罪に走らしめたのかといったことを私情を交えつつ、ベタなドラマとして描くところでしょう。

しかし三島由紀夫は違う。

青年は荒涼殺伐とした精神の荒野からやってきた。
そしてその荒野は、三島自身が抱えている「心の未開拓地」と地続きであることを三島由紀夫は直感し、それを敢えて告白します。

このエッセーは、ひとり狂者の青年に向けて書かれたものです。

「本当のことを話してください」と必死に訴えていたひとりの孤独な読者に向けて、あらゆる虚飾を排して回答しているのです。

「その意味は解せぬが、あいつは私に、本当のことを話せ、と言った。そこで私は、本当のことを話した。」

三島由紀夫という作家の誠実さを垣間見る思いがします。


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2012年03月19日

GOGG


白いGOGG完成。


モグラというかノートルダムの背むし男というか・・・

でも愛嬌はありますね。


80年代のメカ・デザインはこれでよかったのですね。


腰のあたりなんか石臼みたいですよね。


ガンプラ作りも、そろそろネタが尽きてきた感じがします。
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2012年03月18日

続・偶像崇拝


不特定のアイドルの追っかけをやっているという人物の手記を読みました。

彼は高3の時、道で偶然某アイドルと接近遭遇したのをきっかけに「追っかけ」を始めたといいます。

そして大学進学後、自転車で学校へ行く途中に投稿系の写真誌に載っていた、アイドルの自宅付近の公園をこれまた偶然に見つけて以後、ストーキングの世界にはまり込んでいきます。

この二つの偶然を体験して、彼は「ボクはアイドルを追うために生まれてきたのだ」と確信するようになったと書いています。

つまりこの辺りで彼は激しくバカをこじらせたのでしょう。

その後は生活のほぼすべてをアイドルの追っかけに捧げ、私立探偵か何かのように、彼女たちのプライベートを渉猟してまわるようになります。

彼曰く、「普段はきれいに着飾っている偶像の実像をつかみたいというストレートな感情にボクは忠実に走った。」のだそうです。

この手記で最も興味深いのは、彼が苦心惨憺の末に某アイドルの自宅をつきとめ、中流以下の粗末な家屋を目にした時、そしてアイドルが通う学校で張り込みをしながらアレコレと妄想をしていた時に、突然勃起したと告白しているところです。

彼自身はこれを「性的興奮とは違う反応」と解釈していますが、仮に単純な性的欲求の発散と消費ということではなかったとするなら、それは「瀆聖」の悦びといった類の、倒錯的な衝動ではなかったかと思います。

光彩陸離とした美少女アイドルの生活レベルや知的レベルが明らかに自分よりも下であると確信した時、彼女の一ファンにすぎない彼には刹那の冷笑と落胆と共に、ある種の優越感が芽生え、それは直ちに一種のサディスティックな快感を彼にもたらしたはずです。

かのサド侯爵が晩年、庭に咲いた美しい花の花弁を一枚一枚ちぎっては泥水に浸して、その様子を嬉々として眺めていたというエピソードは有名ですが、そういった美を穢す悦びと背徳的な快楽、そして他人のプライベートを覗き見るというタブーを犯すスリルとが ない交ぜになって、勃起という身体レベルの反応に結び付いたのだろうと思います。

アイドルを信仰の対象のように崇め奉ることと、それを卑俗の泥濘で穢すこと。

二律背反するこれらの行為は、ちょうどコインの表裏のように一体であって、即ち偶像崇拝とは、聖性の否定と毀損という可能性によってのみ成立しうるものであると言えるでしょう。
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2012年03月17日

巨星墜つ


評論家の吉本隆明氏が亡くなりました。

丁度ボクが生まれた頃に、日本の思想界の旗手として活躍しておられた方です。

とりわけ全共闘世代にとっては、日本の戦後を象徴する思想家であったと言えるでしょう。

吉本隆明氏の日本の現代思想史における立ち位置というものを概説するなら、明らかにマルクスの影響下にありながら、常にそれを超え出ようと試み、後にフランスからもたらされるポスト構造主義の思潮を受容する土台を作り上げた人であったろうと思います。

恐らく柄谷行人氏や今村仁司氏らの仕事というものも、吉本氏の思想なくしては成立しなかったはずです。

ボクにとっての吉本隆明という思想家は、やはり「共同幻想論」の著者というイメージが強い。

国家というものは「装置」などではなく、その本質は「幻想」にすぎないという氏の考え方には大変感銘を受けました。

まぁバタイユなどの解釈をめぐっては少々疑問に思う点もありますが、それはそれで全く新しい視点というものを我々に提示してみせた功績は、やはり大きかったと思います。

また、漫画やアニメなどのサブ・カルチャーに関する批評などでも見るべき仕事を遺しました。

個人的に最も印象に残ったのが、「宇宙戦艦ヤマト」を賞賛する一方で「風の谷のナウシカ」には批判的な意見を述べていた点です。
世論の大勢は真逆のものでしたので、驚いたと同時に非常に考えさせられました。

結構歳をとってから、コム・デ・ギャルソンか何かのブランドものの服を着て雑誌に登場したりして、一部知識人らの顰蹙をかったりもしましたが、終生思想的にブレずに生涯を終えた。

立派な思想家であったと思います。
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2012年03月15日

続・アンファン・テリブル


名前を聞いても殆どの方が知らないと思いますが、「Eriko with Crunch」というダンス・ヴォーカルユニットがありました。

シングルを2・3枚出していつの間にかバックダンサーたちは消えてしまったのですが、ご覧の通り、妙にイキった感じの4人の大人(と言ってもまだ未成年でしょうが)にまじって、いかにも純朴そうな小学生がひとりポツンと佇んでいます。

絵的にかなり奇妙なこのグループ。
おそらく売り手はこのビジュアルの面白さ、というか不自然さをひとつのセールスポイントにしようとしたのでしょう。

あるいはユニットのマスコット的な存在としてこの少女を加えたのでしょうが、この「さっちゃん」という愛称の女の子が、実はもの凄くダンスが上手いのです。

今でもYouTubeでこのユニットのPVが観られますが、「Red Beat of My Life」という曲のPVは、さっちゃんのスーパー・パフォーマンスを堪能できます。

とにかく踊りが上手い!

大人たちのダンスに必死について行っているという感じは微塵もなく、むしろヴォーカルも含め、他のメンバーを完全に喰っているという印象さえ抱きます。

ボクは連続で10回このPVを再生して観ましたが、さっちゃんのパフォーマンスにしか目がいきませんでした。

おそらくさっちゃんには、リズム感や身体能力などで天性の素養があるのでしょう。

残念ながらユニットとしては、ヒット曲に恵まれず世間の注目は浴びませんでしたが、さっちゃんはその後、「AI-SACHI」という少女デュオで再デビュー。
シングルCDを2枚出して活動を休止し、現在はダンスのインストラクターをしているようです。

興味のある方はYouTubeをご覧ください。
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2012年03月13日

ACGUY


ブサ・カワイイ、ピンクのアッガイ。


腕がびよ~んと伸びます。


後ろから見ると、とても戦闘用モビルスーツとは思えない鈍重な姿。


アッガイのキットはとても組みやすいです。

塗装は面倒だけど。


アッガイ作ったから次はゴックかなぁ・・・
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2012年03月11日

3.11の記憶


あの震災からちょうど1年。

正直なところたった1年で、自分の中ではもう記憶の風化が始まっているように思います。

家族や友人を喪ったり、津波で家が流されたり、電信柱に引っかかった遺体を目の当たりにしたり、被災した水産加工場で腐っていく魚の腐臭を嗅いだり・・・ そういう身体に刻み込まれた生々しい記憶というのは、時がたっても容易に色褪せないものでしょうが、ニュース映像や写真などで得たにすぎない知識としての記憶は、人は簡単に忘れてしまう。

関東大震災で死んだ子供の死体からは熟したアンズの匂いがしたと芥川龍之介が書いた時、その記憶というものは、おそらく被災者たちが1年前の出来事として共有している記憶と同じ強度を持っていたに違いありません。

ボクらはこういう記憶を被災者たちと分かち合うことはできませんが、少なくとも1年前の震災という事実を忘れないという誠実さだけは持っていたいと思います。
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2012年03月09日

Life Is Beautiful


先日偶然ラジオをつけたらやっていた「Life Is Beautiful」という番組。

そう言えばイタリア映画にも同じタイトルの作品がありました。
90年代後半に公開され、非常に高い評価を受けた映画です。

件のラジオ番組は、女性パーソナリティーがリスナーそっちのけで一人で喋ってひとりで笑っているという、独善的な感じのする、あまり聴いていて気分の良いものではありませんでした。

後でわかったことですが、この女性パーソナリティーというのは、ちょうど映画「Life Is Beautiful」が絶賛公開中だったころ、若者を中心に人気を博していたSPEEDというアイドル・ユニットのメンバーのひとりでした。

彼女は当時まだ中学生でしたが、アイドル崩れのつまらない男と恋仲になって、その男と故郷に帰って暮らしたいと言い始めたことがSPEED電撃解散の原因だとも言われております。

まぁこういう巷間に流布するゴシップというか噂話というものは、大抵の場合信憑性に欠けるマユツバもので、どこまで真実を穿っているか分かったものではありませんし、今となっては何が真相かなどどうでもよいことではありますが、ラジオで彼女の話し方などを聴いていると、もしかしたらSPEED解散の原因のひとつには、彼女の性格的な歪みのようなものがあったのかもしれないなどと勝手に想像してしまいます。(もちろんそれだけではないでしょうが)

あくまで憶測ですが、彼女には回避性愛着障害の人々がしばしば見せるコミュニケーション能力の不全といった面があるように思います。

ミーイズムなどと言ったら言い過ぎかもしれませんが、他者と容易に打ち解けない、他者との情緒的な交流を避ける彼女の性質が、メンバーからも事務所のスタッフなどからも孤立する状況を産み出し、結果孤独が猖獗して、故郷に帰りたいという気持ちを強くするに至ったのではないか。

しかし、故郷にも彼女の居場所はもうなくて、結局また芸能界に復帰することになった。

Life is beautiful.

彼女は本心からそう思っているのでしょうか?
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2012年03月07日

道は開ける


「人生いかに生きるべきか」について著名人が縷々述べ立てるという、いわゆる自己啓発本の古典的名著、D・カーネギー「道は開ける」。

しかしながらボクは、「道は開ける」を読んで、はたして道が開けたという人に未だかつて出会ったことがありません。

カーネギーと言えば、The successful man will profit from his mistakes and try again in a different way.という一文が、しばしば大学受験の英語でwillの特殊用法を解説する際に引用されますが、要するにこのテの書物というのは、彼のような富も名声も得た成功者が、下々の者たちに完全に上から目線で自らの人生哲学を垂れるというようなもので、読んでも毒にも薬にもならないといった程度の代物でしょう。

人生にどんづまって、藁にもすがる思いでこういう書物を紐解いたところで、何の啓示も得られないばかりか、逆に神経を逆なでされるのがオチではなかろうかと思います。

まぁそれでも中谷彰宏のような、取り立てて何か大きな仕事をなし得たということもない小者に、ビジネスの心得なんぞを教示されるよりは幾分かはマシかもしれません。

五里霧中で手探りをしながら日々を生きるような人々にとって、彼ら彼女らの人生に資する箴言なり金言なりを古今の名著から探すとするなら、例えば「人生は一篇のボードレールにもしかない」という芥川龍之介の晩年の言葉を心にとめておけばそれで事足りるであろうと思う。

あるいは五木寛之の「人間の人生は悲惨だ」という嗟嘆を。

しかしこういう言葉というものは、それを知っていることとそれを言ったり書いたりした先人たちの境地にまで至ることとは違うわけで、結局のところ各々がとりあえず自分の人生を生きてみるしかない。

スティーブ・ジョブスは次のような言葉を遺しています。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.

まさにその通りだと思います。
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2012年03月04日

Z’GOK


いぶし銀のZ’GOK完成。

こういうカニ的なデザインのものは、好き嫌いが別れるでしょうね。


世の中には、カニには目がないという人もいれば、カニなんぞ見るのもイヤ、まして食べるなんぞもってのほかという人もいます。

後者の代表例が三島由紀夫でしょうか。

三島由紀夫はボディービルなんかをやって、身体は随分カニっぽくなりましたが。


以前塾で講師をしていた頃、同僚に歯学部の学生がいて、彼なんぞは「ボクは人間の解剖は平気だけど、カニやエビは気持ち悪くてダメだ」と言っておりました。

こういう感覚はちょっと理解できませんね。


日本海側の寒村なんかでは、昔お腹を空かした子供たちのおやつと言えば茹でたカニだったそうで、今では高級食材ですが、かつては非常にエブリデー的な庶民的な食べ物だったのですね。


以前宅配ピザのCMで、ズワイガニの肉入りピザ登場!!などとタレントがカニの被り物を着て狂喜乱舞するという大仰なものがありましたが、これなんぞはいかにも小市民的でしみったれてますよね。

まぁでも冬に鍋をやって、中にカニが入ってたらやっぱり少し嬉しいですが・・・
Posted by ぴぃ at 22:47Comments(2)TrackBack(0)